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EVENT / PHOTOS |
1973 |
<結成>
ヤマハと創立者吉田翼氏の協力により11月に結成。BIG WINGの"WING"は氏の名前が由来となっている。
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1974 |
<初舞台>
Big Wingの初舞台は新宿ジャズフェスティバル。
6月2日、新宿三越デパート屋上にて6曲の演奏。
7月、池袋West Parkとヤマハ新宿西口センターにてコンサート。
11月21日に結成1周年記念リサイタルを野口英世記念会館で開催。
12月には永谷園のクリスマスパーティに出演し、活動の場を広げた。
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1978 |
<バンドリーダー>
吉田氏が大阪転勤のためBand Leaderを小浜賢治が引継ぎ、現在に至る。
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1980 |
<Swing Is Here !>
9月に日本楽器渋谷店主催で第1回Swing Is Here!が開催された。その後、出演した7バンドとヤマハの協議により、1981年1月に東京都社会人ビッグバンド連盟を設立し、委員長に小浜賢治が就任。
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1988 |
<Bill Berryと共演>
11月、15周年記念リサイタルにコルネット奏者のBill Berryをゲストに迎えた。
この時Bill BerryはBIG WINGがそれまでには出したことがない素晴しいSoundとPowerを 引き出してくれた。
共演した曲はBillが提供してくれたThe Bink/And How、A Little Song For Mex、Blooseの3曲、そしてアンコールのDon't Get Around Much Anymoreに参加してもらった。
The Bink/And HowでのBillの演奏はこの曲のオリジナルレコーディングのL.A.Band
での演奏をしのぐ完璧なまでのソロを聞かせてくれた。これがジャズだ。
Bill Berryの後方のTsは尾田 悟氏
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1989 |
<浅草Jazz Contest優勝>
3月、台東区主催の第8回浅草Jazz ContestでGrand Prixを受賞し、8月に上野ジャズインにゲスト出演。 同年10月に副賞としてAustraliaのManly Jazz Festival で招待演奏。
Big Wingの歴史上初の演奏旅行は初の海外遠征となった。
Manly市はSydneyから7Milesの距離にある素晴しい海岸を持ったリゾートで、3日間のFestival期間に7万人の観客が集まった。 このツアーはミス台東区も同伴してオーストラリア、ニュージーランドを訪問する親善旅行も兼ねていた。
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1991 |
<能登Jazz Wars優勝>
8月、能登の和倉温泉で開催された第1回Monterey Jazz Festival In NOTOの企画として行なわれた全日本社会人ビッグバンドコンテスト(Noto Jazz Wars )で優勝。翌年の米国CaliforniaでのMonterey Jazz Festivalへの招待演奏権と、副賞100万円を獲得した。
演目はKids Are Pretty People, Ev'ry Little Beat Helps, All Of Me, Malaguena。
審査員にはMonterey Jazz FestivalのProducer であるJimmy Lions、88年に共演したBill Berry、Don
Menza、瀬川昌久さんなど。
FestivalにはMaynard Ferguson Big Bandも出演、コンテスト後のReception PartyではFerguson
Bandと同じ舞台で演奏した。
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1992 |
<Monterey Jazz Festival出演>
9月,世界で最も伝統ある米国Monterey Jazz Festival で招待演奏。
Garden StageとNight Clubで演奏した。35周年記念の開催ということもあり、BIGなMusicianに囲まれての演奏となった。
Dizzy Gillespie, Loui Bellson, Wynton Marsalis, Bill Berry, Bob Mintzer,
Roy Hargrove, Jimmy Smith, Tony Willams, John Fadis・・・
メンバー一同Big Nameとの記念撮影に余念がなかった。
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●9月末のMontereyは夜になる と寒くアリーナ会場での夜遅くまでのConcertは相当の厚着が必要だったが、 Night Club Stageでは身も心も暖まる演奏が出来た。
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<Don Menzaと共演>
成田からLos Angelesに入りSan Franciscoまでの途中でCalifornia州の2大学でConcertを行なった。
Tourに同行したメンバーのBruce Huebner(尺八、M.C)の母校であるCalifornia州立大学 Northridge校ではDon Menza(Ts)にクリニックを受けたあとコンサートで共演。
彼もここの卒業生だった。
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<サンタバーバラ City Collegeコンサート>
Santa Barbara City CollegeではJazz の歴史の講座の一貫として満員の音楽室で演奏した。
Big Wingの演奏付き講座を受講して単位(USAではCreditという)を取得出来るとは恵まれている。
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1995 |
<阿佐谷Jazz Streets出演>
10月、杉並区阿佐谷で初めて開催された阿佐谷Jazz Streets '95のFinaleに,唯一の社会人Bandとして出演。Clarinet.の谷口英治さんと共演した。
以降、毎年出演の機会を与えられ、Big Wingの大切な年中行事となった。
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1996 |
<平和のためのコンサート出演>
2月、戦後50年を考える経営者の会の主催により文京Civic Hallで行なわれた「平和のためのConcert」では講師に元長崎市長の本島 等氏 を迎え、氏の実体験を交えた平和への訴えを聞いた。
Big Wingもこれに音楽で応え、プロテスト〜平和を謳う選曲で好評を得た。
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<出雲崎夕日コンサート出演>
8月、新潟県出雲崎市の海岸で初めて開催された「夕日コンサート」のメインゲストとして演奏。
本当に素晴しい夕日が日本海の彼方 に沈んで行った。
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<阿佐谷 Jazz Streetオープニング演奏>
10月、阿佐谷 Jazz Street '96のオープニング 演奏を阿佐谷駅前広場で行なった。
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1997 |
<ペンサコーラJazz Festival出演>
11月、BIG WING 4回目の海外公演を実施。
Florida州で行なわれた16th PENSACOLA Jazz Festival に11月1日と2日出演,
<ニューオリンズ・ロヨラ大学コンサート>
Louisiana州 New Orleans のLoyola University で11月3日にコンサートを行なった。
詳細はEvent ReportのpageにLet's go!
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1998 |
<池袋メトロポリタンフェスタ出演>
4月、JR東日本グループのイベントMetropolitan Feast"メトロポリタンスクエア大変身"に参加。Big Wingの本拠地、池袋の西口界隈をImage Up!
JRの車内吊り広告と駅貼りの大型ポスターにビッグウイングジャズオーケストラの名前が出た。
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<結成25年>
11月、Big Wing結成25年を迎え、25th Anniversary Concertを開催。
" Thanks To The Giants Of Jazz " " Thanks for 25 Years Support"と題してBig
Wingの情熱の源であるJazzの歴史上の巨人達と、お客様からの25年間のサポートへの感謝を込めた演奏を行なった。
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1999 |
<マンリーJF3回目の出演>
10月、1989年のManly Jazz Festival出演以来、Manly市の人々との10年間の交流を 記念して3回目のFestival出演を行なった。
これでBig Wingは5回目の海外演奏旅行となった。
残念ながら入院中の姉妹都市委員長で元市長のJoan Thorburnさんは欠席されたが、 現市長をはじめ歴代3人の市長が歓迎パーティに列席、Big Wing全員が感謝状を頂くという栄誉も受けた。
Ocean Front Main Stageで40分x2回、Old Manly Boatshed (Night Club)で3時間の演奏を行ない、暖かい聴衆の歓迎にHappyな時間を過ごして来た。
詳細はEvent ReportのPageに。
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<池袋メトポリフェスタ年2回出演>
池袋のMetropolitan Square Festivalがイベントとして定着してきた。
Big Wingもその一翼を担って年2回(今年は6月と10月)ともに2日間で4回のStageを受け持ち、好評を博した。
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<阿佐谷Jazz Streets5年連続出演>
10月、阿佐谷Jazz Streets '99も連続5回目の出演となり、今回は2 Stageを与えられると 共に、20才のJazz Vocalist小林 桂さんとの共演という楽しい経験を出来た。
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2000 |
<Jazz Spot Jに5年連続ブッキング出演>
3月、Big Wing の年中行事の一つとして定着したコンサートに新宿”J”での新春Liveがある。
1996年に始まり2000年で5年目となった。通常はアマチュアがライブハウスでコンサートを行なう 場合には休日の昼間などに貸切りパーティ形式となるが、Jでのライブはスタートの時から通常スケジュールへのブッキング形式での扱いとしてもらえたので、テーブルチャージからの キックバックも頂いている。
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2001 |
<聖アンデレ教会で初のジャズコンサート>
7月、Big Wingはオーストラリアの教会でコンサートの経験はあったが、国内では初めての教会コンサートの試みを 行なった。場所は東京タワーの足下にある神谷町の聖アンデレ教会。タイトルは『教会にジャズが来た!』。教会の信者さん達がボランティアで会場作りや前庭での飲み物サービス(なんとアルコールも)を行ない 大成功をおさめた。
詳細はEvent Reportのpage(0107)に。
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2002 |
<豪州マンリーJFに4回目の出演>
10月、Big Wing4回目のManly International Jazz Festival出演。
今年はマンリー市と台東区の姉妹都市制定20周年で、更にJazz Festivalの第25回に当たる節目の年ということで現地からのラブコールから始まった。
詳細はEvent Reportのpage(0210)に。
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2003 |
<デュークエイセスと共演>
1月、日本のジャズコーラスグループの草分け「デュークエイセス」と共演。
「とんかつのいなば和幸」グループの社内イベントで毎年新年会で演奏の場を頂いているが、 今回は会長の叙勲記念Partyとしてデュークエイセスをゲストに、大平透さん(スーパーマンでおなじみの声優)を司会者に迎えて演奏した。
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<30周年記念リサイタル>
10月、30周年記念のリサイタルをVarsity Hallにて開催。
と言っても特にゲストプレーヤーやCD制作というような企画はないが、演奏内容の充実を目指し、その次の10年を目指すような練習の取組みに注力した。
唯一、第1回のコンサートで演奏したSammy Nesticoの作品でTenor SaxのBallad、"All My Life"を
Tsの齊藤誠Featureで再演し、バンドとしての成長を実感した。
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2004 |
<第25回Swing Is Here!>
9月、1981年に発足した東京都社会人ビッグバンド連盟の合同コンサート"Swing Is Here!"の第25回目が開催された。このコンサートは、Big Wingの発足と同様にヤマハのバックアップでスタートし、数年後には自主独立という道を歩んだ。1993年に杉並区教育委員会の共催事業に認定されてからは、区民一般へのジャズ啓蒙という役割も担ってきた。2004年はCount Basie の生誕100年に当たるのでBasieへのTributeコンサートとし、出演各バンドがベイシーナンバーを演奏した。今回のGuestは売れっ子のLead
trumpeter佐久間勲氏(写真右)とVocalのWilliam Silk氏(写真左)。
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2005 |
<James Morrisonと共演>
4月、オーストラリアの世界的トランペットプレーヤー"James Morrison"とWollongong 音楽院Jazz Orchestraの来日により、東京での唯一のコンサートを"Australia-Japan Big Band Battle"と題して、東京のBlue Herd "N"GroupとBig Wing、VocalのWilliam SilkによるJoint Concert形式で開催し、Jamesの卓越した演奏技術、音楽性、パーソナリティを満員の聴衆に紹介した。同じタイミングで来日していたManly市の元市長、姉妹都市委員会メンバーも小田原からコンサートを見に来て日豪親善イベントとしても充実した。詳細はEvent reportのpage(0504)を参照。
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2006 |
<東京ベイプラザホテルディナーショー>
12月、ビッグウイング、ホテルでのクリスマス・ディナーショーに初出演。
会場は千葉・木更津の東京ベイプラザホテル。
会費10,000円での演奏も初めての経験となった。このホテルでもBig Bandによるディナーショーは初めての企画とあって有名なプロや演歌歌手も出ないショーを売り切れるかさぞ心配だったと思うが、開場時点で100人を越える来場者で満席となっていた。もちろんいつもの我々の演奏会とは違って知り合いとして来場した人は一人もいない。2セット、14曲のクリスマスに因んだ曲やTake The "A" Trainに始まるスタンダードナンバーをふんだんに楽しんで頂いた。
メンバーはコンサート終了後、別室で忘年会を行いそのままホテルに宿泊して翌日、海ほたるの観光も楽しんでこの年最後の活動を終えた。
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2007 |
<豪州マンリーJF5回目の出演>
9月末、Big Wing5回目のManly Jazz Festival出演。
Jazz Festivalの30周年+FestivalのDirectorであったJohn Speight氏の追悼で多くの縁のミュージシャンが集まった中で、BWは2つのメインステージで演奏し、熱狂的な拍手と歓声を受けた。
今回はFestivalに先立ち、国際交流の一環としてManly市のエリート校であるManly Selective Campusを訪問し、High
School Big BandとのJoint Concertも行なった。
詳細はEvent Reportのページ(0709)に。
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2008 |
<福島県凱旋コンサート>
9月13日、14日にBig Wing福島凱旋Tour - 三浦次郎&丹治修也 故郷に錦を飾る -と銘打ってメンバー2名の出身地である福島県にコンサートツアを行なった。
故郷三春町の両親と故郷の人々にビッグウイングの演奏を披露したいという三浦の発案に呼応して、丹治の故郷福島市でのライブを企画し2泊3日の国内ツアとなった。三春では三浦とが高校時代に同じバンドにいた友人が参加するビッグバンドG0-Go Jazz Orchestraとの共演も実現した。
三春の三春交流館まほらホールは約400席の会場が、福島市内のライブハウスBig Appleでは100席が、開場と同時に埋まるほどの盛況でいずれも立ち見が出る聴衆の中で気持ち良い演奏が出来た。
もちろん旅館での2泊は連日の宴会。Go-Go Jazz Orchestraの皆さんとの交流で盛り上がった。
三春では地元のTV局が三浦に密着取材、東京での追跡取材も合せてニュース番組で放送された。
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2009 |
<Manlyの高校バンドと日本で共演 >
2007年に豪州Manlyで共演したManly Selective Campus Big Bandの来日に合わせ、「教会にJAZZが来た!Special」としてアンデレ教会の絶大なる協力の下にJointコンサートを実施し、コンサート後のWelcome Partyも含め、マンリーでの歓迎の恩返しが出来た。
来日したバンドは、吹奏楽とピックアップメンバーによるビッグバンドの2セットで日本国内ツアを実施、各地で高校や大学のバンドと共演を行なった。国内ツアのコーディネートはBWがMonterey Jazz Fes.に出演した際にお世話になったWorld Project Japan社。
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2011 |
<北村英治と共演>
武蔵村山市民会館でのワンコインコンサートは2006年に第1回目、2年開いて2009年から毎年開催するようになって2011年9月4日には4回目が行なわれた。3回目までは258席の小ホールでの開催だが、毎回チケット発売して直ぐに完売する人気の高いイベントとなっている。
そこで2011年からは1032席の大ホールに会場を移した。BW単独のコンサートで1000席以上の実績はなく観客動員にはゲストの力が必要ということで2年前に共演した北村英治さんにお願いした。FM放送でのスポットCMをはじめ、主催者の積極的な活動とBWへの期待感、それに北村さんの強力な動員力が奏功して700人を超える動員が実現した。北村さんが呼びかけた大震災の義援金は105,446円も集まり、価値あるイベントとなった。
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2012 |
<豪州マンリーJF6回目の出演>
9月末、35th Manly Jazz FestivalにBWとして6回目の出演。BWはいつものようにBeach FrontとJohn Speight stgaeのメインステージで各1時間の演奏時間枠をいただき、熱い歓声を受けることが出来た。29日、土曜の3時からBeachfront
Stageで10曲、日曜の昼からJohn Speight Stageで12曲、各1時間の演奏。ここ数年天候に恵まれなかった上、直前まで悪天候が予測されていたために2つのメインステージはテントの屋根や囲いが設置されていて客席数が以前より少なかった。ところが、JF開始から3日間は快晴となりBWの演奏にはStanding
Ovation、アンコール、Danceに興ずる若者が盛り上げてくれた。
演奏者17人+司会+家族+OBの総勢29人が参加、土曜の演奏後には前市長Joan Thorburn宅で現市長、副市長はじめ姉妹都市委員会メンバーが集まり盛大なパーティを開催していただき、国際交流が図れた。会場近くにあるSt. Andrew's教会でJoanのお墓参りが出来た上、リハーサル会場としても使わせて頂いた。HostのMalcolm Thorburnに感謝。自費でエキストラ参加して頂いたTb萩原さん、Dr佐藤さんTs本田さんにも感謝。
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2013 |
<40周年記念リサイタル>
9月29日、40周年記念リサイタルを座・高円寺2で開催。
特別企画として第1回リサイタルに出演したOBの中から吉田翼、都築淳一、萩原義高、吉井隆夫、町田秀信の参加を得て第1回の演目からThis Guy's In Love With Youiを演奏。
第1回の出演者はゲストの5人の他、現役として小浜、岩倉、甘利、みちこ、MCの山木の5人がいる。
もう一つの企画として、BWの歴史の中で重要な演目となった浅草ジャズコンテストの優勝曲「Ev'ry Little Beat Helps」やBW海外遠征のために前田憲男さんが編曲した「越天楽」を40周年のエポックとして演奏。
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2014 |
<第20回阿佐谷JSに出演>
10月25日第20回となった阿佐谷ジャズストリートに参加。
BWとしては13回目の参加となる。今回初めて杉並区役所前での演奏。
2014年のライブは2月の新宿Jが歴史的大雪の翌日に始まり、10月の第41回リサイタルは最大級の台風19号来襲に見舞われ、天候に泣いたが、この日は快晴で温かく、会場前の歩道と両サイドは聴衆で埋め尽くされ、リサイタルから12日後のリラックスした状態で充実した演奏ができた。
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2015 |
<阿佐谷JSで有料ライブ>
10月24日、21st阿佐谷Jazz Streetsに、Big Wingとしては14回目の出演。
いつもと同じ杉並第一小学校体育館のステージだがちょっと違うのは有料ライブとしてパスポートを持った人しか入れないイベントであること。
このいきさつは5月に実施した36th Swing Is Here!でGuest VocalにWilliam Silkさんを呼び、「Frank
Sinatra 生誕100年」を記念するライブで660名の来場者に大きな反響があったことから。
阿佐谷JSのスタッフがその現場にいて同様の趣向で阿佐谷JSをという企画提案を受けたという背景がある。
BWとしては初の有料イベントへの出演となり、来場者減を心配したが、いつものように満席。そして最後にはスタンディングオベーションも受けてフィナーレを飾ることができた。
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2016 |
<下田黒船祭単独コンサート>
5月21日、伊豆下田市で開催された第77回黒船祭にて単独ライブを実施。
Big Wing 初の下田公演は現地の市民団体でニューポート市との国際親善に多大なる貢献をしている「下田ニューポートクラブ」の会員を中心に多くのボランティアの協力で実現した。
会場には下田市と姉妹都市である米国ニューポート市のナポリターノ市長とロードアイランド州日米協会のバイナー会長もご来場して舞台上からのご挨拶され、Big WingをNewport Jazz Festivalに招待したいとお話があった。
「Big Wingは、Monterey Jazz Fes.に出たのだからNewport JFにも是非!!というお話」。
翌日夜のフェアウエルパーティでは7人編成のコンボ演奏を楽しんでいただき、お2人から前日と同じお誘いの言葉をいただいた。
バンドメンバー全員がニューポートまで行くには乗り越えなければいけない壁がいくつもあるが、実現の可能性を探てみたいものだ。
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2017 |
<Manly JF7回目の出演>
Big Wing7回目のManly Jazz Festival出演は4月はじめにArtistic Directorである Caroline Speightさんより40周年を記念して参加の招聘を受け、準備を開始した。これまでの6回の渡豪に比べ、参加決定に当り苦労したことは仕事の都合、体調不良などで参加不可のメンバーのトラ探しに加え、5月にマンリー市が周辺2市と合併し新しい市の一地域となったため、マンリー市議会が解散し、過去毎回の渡豪時に我々の宿泊や移動、楽器レンタル、リハーサル会場など世話をしてくれていた姉妹都市委員会も全く機能できず、これらの交渉をすべて現地業者と直接にメールで行なうことになったため、多くの時間を費やした。
それでも当日には演奏会場や元市長宅でのホームパーティにいつもと同様に多くの姉妹都市委員会メンバーが駆けつけてくれ、更に親交を深めることができた。
Big Wingは屋外のメイン会場であるBeachside ArenaとJohn Speight Stageの2か所で土日に各1時間演奏した。
どちらもステージ上から見渡す限り聴衆で埋まっている中で、初日は9曲+アンコール曲、2日目は8曲+アンコール2曲を演奏した。大歓声と舞台前でダンスに興じる聴衆の姿は演奏者冥利に尽きる。
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2018 |
<厚木市新統合芸能芸術祭 "ez">
Evolutional Art of人形芝居 & Jazz ”江戸から大羽屋もやってくる”
2018年11月25日・厚木市文化会館
かつて小江戸と呼ばれた町、厚木は地域の文化の拠点。世界のどこにもない厚木発の新しい文化を生み出そうと、伝統芸能と現代の音楽がコラボレーションを始めた。
2009年に始まったMt.Fuji河口湖Jazz Festivalのプロデュースで山口三重子さん(厚木市在住)のジャズへの熱意が10年間の熟成期間を経て新たなカルチャーを発現した。
厚木市との協働による、相模人形芝居(国の重要無形文化財指定)とジャズのコラボレーション。
●後継者不足が課題の相模人形芝居に関心をもってもらいたいという座の現実を耳にした山口さんが出したソリューションは、人形浄瑠璃の語りを現代語に置き換え、人形の動きに合わせ、時には人形の動きを刺激することができるジャズの即興性を生かしたコラボレーションであった。
●Big Wingはこの企画への参画に当り、その昔、小江戸と呼ばれた厚木に芽生えた文化と、世界とつながろうとする江戸の粋な文化をジャズという形式で表現し、イベントのイメージ作りを下支えするべく、馳せ参じた。
全9曲、演奏の合間に鑑賞した人形芝居と早川トリオのコラボに涙するメンバーもいた。来場者の拍手やメッセージから楽しんでいただけたという反響は実感した。
願わくば一人でも相模人形芝居の座に興味をもち、人形を動かしてみたいという人が現れれば、このイベントに関わった100名を超える出演者、スタッフの労が報われる。
●Big Wingがこのイベントのフィナーレに選んだ曲は前田憲男さんが1989年BWのために越天楽をモティーフとして書き下ろしてくれた「Opus
ETENRAKU Funk」です。前田さんはこの日、83年の生涯を終えました。心よりご冥福をお祈りいたします。
●イベントの翌日26日早朝のテレビ朝日ANNニュースで報道されたことが強い援護射撃になることを期待したい。
NewsにはBig Wingもしっかり写っていました。
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