BIG WING Australia Tour 2007 |
BIG WING Jazz Orchestra
The 7th Overseas Performance at 30th Manly Jazz Festival Sep.28-Oct.01,2007
5回目のマンリージャズフェスティバル出演を以下の写真のような熱い歓迎を受けて果たしてきた。
マンリー市と台東区の姉妹都市交流25周年と、マンリージャズフェスティバルの30周年祝う形での音楽交流となった。
出演者20名、司会、ビデオとカメラ撮影、録音などのスタッフ、打上げで活躍するシェフ、家族、ファンなど総勢33名がフェスティバル当日から一気に真夏の天候となったオーストラリアの別天地で過ごしたレアな体験をレポートします。
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マンリーのメインストリート(左側)は聴衆で埋め尽くされた。フェスティバル期間中3日間は通行止めで、喫煙スポット以外は禁煙。
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ステージ右側は美しいマンリービーチ、ここもJazzを聴きながらビーチバレーボールや日光浴で満員。
Oceanfront Stage 07/9/30
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今回のフェスティバルでの初日の演奏はThe Corso Stageで土曜日5時から1時間。この日このステージのトリの役目を果たした。
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アンコールに応えると爆発したように若者が飛び出してきてダンスに興じて盛り上がった。
The Corso Stage 07/9/29
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ツアスケジュール:
9/27(木) |
21:15 |
成田発 JL771 9H25Mのフライト |
9/28(金) |
7:40 |
シドニー着 姉妹都市委員会提供のバスでBondi BeachとPowerhouse Musium観光 |
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12:30 |
Manly着 3箇所のホテル(長期滞在型アパート)に分泊のチェックイン |
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14:00 |
Manly Selective Campusで学生バンドとWorkshop and Rehearsal |
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19:00 |
Fresh Water Campus Hallで2時間のJoint Concert |
9/29(土) |
17:00 |
The Corso Stageで1時間の演奏 |
9/30(日) |
13:30 |
Ocean Front Stageで1時間の演奏 |
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18:00 |
元市長、姉妹都市委員長のJoan Thorburnさん宅でWelcome Party |
10/1(月) |
9:35 |
5名が仕事のため帰国 JL772 |
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20:00 |
アパートメントで打上げParty |
10/2(火) |
9:35 |
姉妹都市委員会提供のバスでシドニー空港集合、JL772で帰国 |
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18:10 |
成田空港着/解散 |
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プランニング:
前回2002年の出演は5年前、姉妹都市交流20周年、ジャズフェスティバル25周年という節目の年だった。今回もこのような節目の年を選んだというわけではなく、2006年にマンリー市議会と姉妹都市委員会からの提案で今回とは別のプランをもとに資金調達を含め現地が積極的に動いたが、実現しなかった。しかし、今年4月に姉妹都市委員会が来日した際に再チャレンジしようということで、07年4月初旬から準備を開始し、国際交流基金などの公的資金調達にも挑戦しながら、メンバー全員が参加できる環境つくりを進めた。
そして、7月初旬にはホテル、航空券、フェスティバルの出演枠などの確保が必要なため、資金調達の成否に拘らず、参加をバンドとして決定して現地に伝えた。
こんなものも必要:
全員が参加するために一番必要なことは会社の休暇取得。そのためには本人がそれを上司に言い出すためのモチベーションとともに、理解を得るためのツールとしてマンリー市長、フェスティバルの主催者と音楽監督、姉妹都市委員長、台東区役所の姉妹都市交流課というような公のオーソライゼーションが得られる招聘状、派遣依頼書などを用意することがバックアップに貢献する。
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シドニー到着後ホテルチェックインの時間調整を兼ねた観光をしてからManly Selective Campusに入ってHighSchool Big
Bandと合同リハーサル。
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すぐ近くのFresh Water Campusに移動してPTAが用意してくれたピザとドリンクでウエルカムパーティーの交流。7時からの合同コンサートは学生から演奏。
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ワークショップ、コンサートを通して感じたことは高校生のアドリブのレベルの高さ。日本の高校生は言うに及ばず、レコードコピーに走る大学生にも勝っているといわざるを得ない。
Big Wingにはフェスティバルに向けて緊張をほぐす良い演奏の場となった。成田由美のオリジナル曲「At A Glance」をはじめ年、今回のツア用の新曲の初演の場にもなった。
今回のツアでは今年3月にリタイアした丹治朋子に英語でのMCを担当して頂き、メンバーの緊張をほぐす効果も大きいことが確認できた。
学生たちがBWの演奏に目を輝かし、質問を投げかけてくる姿も嬉しかった。
9/28 Manly Selective Campus Joint Concert
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それぞれのバンドの演奏の中にアドリブで参加したプログラムでは、BWのCruisin' For A Bluesin'でのMSCのAs奏者とTsの丹治とのバトルが圧巻だった。そしてコンサートのフィナーレは2つのバンド合同でBWが用意したMiYaBiとMSCが用意したThe
Chickenを演奏し、日豪音楽交流を飾った。
9/28 Manly Selective Campus Joint Concert
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マンリー・セレクティブ・キャンパスとは:
Manly Selective Campusはマンリー市立の中高一貫教育のエリート校で、中学から選択的に英才教育をする機能を持っている。音楽(クラシック〜ジャズ)、ショー、クラシックダンス、ジャズダンス、スポーツなど選択肢は多岐にわたる。
この Big Bandももちろん日本のようにクラブ活動ではなく選択カリキュラムに含まれている。アンサンブルの授業は週1回なのでBWと同じだが、それ以前に楽器演奏の基礎から少人数の合奏、理論やアドリブの指導を受ける。アドリブもディキシーの時代から現代までスタイルを踏まえたソロをできるような指導要領が用意されている。うらやましいとしか言いようがない。
このバンドは2009年に来日が予定されており、その時にはBWとのジョイントが計画に盛り込まれている。
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初参加 小浜みちこ
plays Empty Ballroom Blues
ツア同行は3回目、今回が初舞台
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初参加 泉山朋子
plays 12meter Boogie
Oceanfront Stage
07/9/30
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初めての海外公演 〜これか!原動力 by 泉山朋子
見る見るうちにいっぱいになる聴衆。踊りだす人たち。鳴りやまない拍手、アンコール・・・。
これに興奮しないミュージシャンがいるだろうか。私にとっては初めてのマンリー。いっぱいだった不安はステージ上でふっとんだ。ステージでは大きな拍手と歓声をもらい、帰国後にはあたたかいメッセージが届いた。
これが原動力となって、このバンドは進化し続けるのだろうと思う。
音楽とかバンドを続けるのに何か理由があるとしたら、「あのステージにまた立ちたい」「あの人にまた会いたい」というのも一つなのかもしれない。創立34年のビッグウイング。仕事が忙しくとも家族から白い目で見られようとも、メンバーがこのバンドを続けようと思うのは、そんな想いを共有しているからなのかもしれない。
私もまんまと、あのステージにまた立ちたい、お世話になったソーバンさんにまた会いたいと思うようになっている。そして次のその機会には、より素敵な演奏がしたいと心から思って楽器を手にするようになった。
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仕事の都合で参加できなかったTb伊藤の代役で参加して頂いた萩原義高
plays Cruisin' for a Bluesin'
BWは1998年に彼の誘いで浅草ジャズコンテストに出場してManlyとのつながりができた。
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初参加 吉川輝夫
今回はScott WarrenとLead TbをShareして参加。
Oceanfront Stage 07/9/30
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5回目の参加 渡辺昭宏
plays Speak Low
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5回目の参加 横川尚行
plays Cruisin' and a Bluesin' アカペラSax soliのキックオフソロで緊張はピークに達する。
Oceanfront Stage 07/9/30
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5回目の参加 小浜賢治
plays Bye Bye Blackbird
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5回目の参加 岩倉直衛
plays Hitian Fight Song
Oceanfront Stage 07/9/30
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The CORSO Stage 演奏終了後。 中央はJoan Thorburnさん、その後ろがMalcolmさん。
左端が市議会でサポートして頂いたElaine Kentさん。
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Oceanfront Stage
演奏終了後。前列中央が姉妹都市委員会でサポートして頂いた三森すみよさん。
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フェスティバル2日目の演奏終了後Joan Thorburnさんのお宅でのWelcome partyにはJazz Fes.のArtistic DirectorであるAndrew
SpeightとJohn Speight夫人のNiddrieも駆けつけてくれた。
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分泊した3つのアパートメントのうち最も広いスペースがあるBella Vistaで最終日の恒例の打上げを行なった。シェフが本職のOB山木氏の創作料理に大満足して日程を終了した。
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Manly Jazz Festivalをここまで育て上げ、オーストラリアのジャズ教育に大きく貢献してきたJohn Speight氏が30周年を迎えた2007年の1月に他界した。
BWが参加する度に最大限の出演枠を設定して歓迎してくれたJohnを失ったあとの参加にはわずかばかり不安もあった。今回は30周年であり、Johnの追悼のイベントも企画され、縁のミュージシャンが多く参加することになるとも考えていた。
BWは1991年にMonterey Jazz Festival出演をかけた全日本社会人ビッグバンドコンテストでGrand Prizeを受賞、翌年出演したが、この時がMontereyJFの35周年記念でDirectorのJimmy
Lionsがこの回をもってリタイアするということになり、大勢のフェスティバルゆかりのビッグネームが出演することになったため、BWの要求していたメインアリーナでの演奏枠が取れなかったという経験が頭をよぎった。
そして、8月中旬にWeb上に発表されたManlyのタイムテーブルでは、Big Wingの出演がOcean Front Main Stage1回のみとなっていた。
すぐにライブハウスを含めステージサイズに拘らずもう1つの会場を与えてほしいとの要請を出した結果、Johnを引き継いでDirector Teamを作った息子のAndrew、娘のCarolineが計画を変更してThe
Corsoでの演奏を可能にしてくれた。
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JFをここまで作り上げてきたJohn Speightの息子で米国でプロ活動中のAndrewはFestivalのために帰国してDirector、自己のQuintet、Johnが育てた縁のplayerによるTribute Bigbandでも活躍していた。
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このBigBandのTb PlayerにはBWがツアに持参したうち2曲「12meter Boogie」と「Bad Habits」の作編曲者であるEd Wilsonが参加しており、演奏終了後にアレンジをとても気に入っていると伝え記念の1枚となった。
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