BIG WING Jazz Orchestra
The 6th Overseas Performance
at 25th Manly Jazz Festival
Oct.03-08,2002
Manly市の紹介やBig Wingがこれまでに3回、このFestivalに参加した経緯については前回99年10月のReportを参照して頂きたい。
3年の間に Sydney Olympic GameがあったことでSydneyだけでなく近隣のManlyも新たなビルやホテルが建ち、 町並みがRefreshされていた。
Photo : at Ocean Front Main Stage Oct.06
このFestivalは毎年10月第1週の土曜日から月曜日に行なわれるが、この月曜日はLabor's Dayで日本でいう勤労感謝の日に当たる休日で、この連休はLong Week-endと呼ばれている。
10月5日(土)から3日間、7会場で計78のプログラムがセットされていて、今回のInternationalのゲストは日本のBig Wingを含めUSA、Italy、UK、New Zealand、Sloveniaからの6グループ だった。
今回の海外ツアを決断した背景について振り返ると、発端は今年がマンリー市と台東区の姉妹都市制定20周年で、更にJazz Festivalの第25回に当たる節目の年なので、旅費をManly市側で負担するから出演して欲しいというものだった。その後、具体的な準備作業に入る時期になって、先方の資金集めは上手く行って いない、メンバーの中には休暇を2日間しかとれない、参加可否は9月の組織変更の結果次第、という人がいる問題に加え、いつも現地との交渉に当たっている私自身が、公私共に時間的に厳しい状況に陥っており、 メンバーの中のオピニオンリーダー達からは、無理して今年行かなくても良いのでは、という意見が顕在化してきた。更にリードTbのDon Gibsonが8月に名古屋に転居するため、新たなメンバー探しも必要になり、 期日までに見つからなければ中止との判断基準も生まれた。
この様な状況下でも突き進んだ理由がいくつかある。
1)毎年桜の頃に来日して姉妹都市の交流と共にBig Wingとのパーティを何よりも楽しみにしている姉妹都市委員会長で元市長のジョーン・ソーバンさんの希望と健康問題(来年でも大丈夫?)、
2)前回のツアが宿泊、全体のプログラムなどでメンバーの満足度が高かったため、同じ軌道に乗せればスムースに動き出す(納屋にホームステイなどの悲劇はない)、
3)現地との交渉はインターネットの活用でこちらの睡眠時間を削れば進められる(+家族との会話時間も)、
4)そして大きな動機付けになったのは、演奏に必要な2日間しか宿泊できないにも拘らず、バンドとして行くと決まれば参加するという5人のメンバーの心意気だった。
結果として何があっても行きたいという人の熱意もあり、一人も不参加の表明はなく準備を進めることになった。更に、私の思いには結成29周年を迎えたBig
Wingに、親子の年齢差がありながら(オジサン達をものともせず)参加してくれている若い人達に感謝と歓迎(自費参加の歓迎会)の意を込めて、海外演奏の楽しさを早く伝えたい、音楽をライフワークにしている社会人のエネルギーの源を見せてあげたい、ということもあった。
Tourの全体像から紹介すると、参加者は3つのグループに分けることができる。
1)演奏者:20名、
2)録音とビデオ録画を担当するスタッフ:2名、
3)家族やOB:8名で総勢30名となった。
演奏者のうち1名は今回のツアだけのエキストラで参加して頂いたTbの福澤君。多謝!。
そしてこの30名が全員一緒に成田空港発着ならば簡単だが、いつものようにそうは行かない。日本出発に関しては10月2日、3日、4日で更に成田、名古屋、関空に分れる。同様にシドニー出発は7日、8日、9日に分れる。この航空券の手配は、標準コース以外は個人手配とした。
宿泊に関しては3日から8日までのManly滞在を前回同様の長期滞在型で自炊設備、食器、全自動洗濯乾燥機付きのアパートメントとしたが、これも1ケ所には全員が入れないので4ケ所で12のグループに分かれた。
同一滞在日数の人が同じ部屋に宿泊するようにグルーピングしてムダな費用の発生を避けた。
出演者の中には2泊しか出来ない人が4人。観光はせずに仕事場に戻る人たちだ。これにも感謝!
アパートメントはどれも広くきれいでパーティができるようなベランダまで付いており、リッチな気分になれる。
↑Photo :Apartment deck and room ↑
今回もJAL771便でSydneyに早朝到着のためホテル Check-inまでの時間をチャーターBusでの観光にあてた。この費用はManlyの姉妹都市委員会が負担してくれた。姉妹都市委員会で現地に住む鈴木さんがこのバスでのガイドをつとめてくれて、4回目にしてManlyの歴史や生活面の話を聞かせて頂いた。感謝!!
なお、成田空港で機内持ち込みをどうしても許されずエアキャップでぐるぐる巻にした楽器はシドニー空港で約束通りハンドキャリーで我々に戻され無事を確認した。
荷物をApartmentの部屋に落ち着かせてすぐにPublic School(小学校)のホールを借りて2時間のRehearsalを行なった。そこにはFestivalのArtistic
DirectorであるJohn Speightも夫妻で歓迎に来てくれた。でもトランペットは2人しか到着していない寂しさ。
[Photo : Manly Public School]
Festivalは10/4(金)夜のパークロイヤルホテルでのDon Burrowsのコンサートが前夜祭で、本番は10/5(土)の11:00から始まった。(情報不足でBWは誰も参加しなかった)
街の中心にあるCorso広場のすり鉢状のステージはBig Wingによる12:30から50分間の演奏がオープニングとなった。
1曲目は今年前半のコンサートでいつもOpenerとして演奏してきたOn The Street Where You Live。これがいつものように?いつも以上に?できれば先は明るい、という選曲だった。正解だったかも。
前に述べたJoan Thorburnさんをはじめとして多くの委員会メンバーが客席にいた。演奏後も盛上がった。初めて会う観客もあちこちでメンバーに暖かい声をかけてくれていた。
この日は夕方から現Manly市長のJean Hayさんと姉妹都市委員会の主催によるBig Wing歓迎会が開かれるのでそれまでは自由にJazzと町並みを楽しんだ。
[Photo :Corso Amphitheatre Stage]
Manlyはリゾート地ということもあり街の美化は徹底している。演奏の翌朝になるとCorsoの通りはゴミ一つなく整備されている。
このFestivalはManly市議会と観光局の主催で行なわれており、ほとんどのイベントが入場無料。いくつかのスポンサーがついているが資金面は非常に厳しい中で運営されているため、街を清掃するスタッフはボランティアで、ユニフォームのTシャツをもらえるくらい。
前回は良いデザインのTシャツや帽子を一般に販売していたが、今年はなかった。過去1度もこの販売で黒字になったことがなく、今回はスタッフ用しか作らなかったとのこと。でもお願いして7枚だけ残り分をもらって来た。
[Photo : Corso in the Morning]
Welcome Partyはとなり街の中国料理店を貸切って歴代4人の市長、姉妹都市委員会、BWのメンバーで60人を超えた。市長からBWのツア参加者全員に感謝状が手渡され、家族、同行者も改めて音楽を通じた国際交流の意義を実感した。BWからは同様にBWの演奏入りCDを全員とバリトンサックスの横川さんの力作のMemorial
Frameを市長と会長に手渡した。
締めくくりPickUpメンバーでのコンボ演奏には、別フロアに来ていた現地のプロのVocalistが飛び入り参加。
写真左が現市長のJean Hayさん、となりが姉妹都市委員会長のJoan Thorburnさん。
[Photo : Welcome Party at Manly]
10月6日、Festival第2日目のOcean Front Main StageはBig Wing の演奏でスタート。
1曲目はハンコックのDolphin Dance。Manlyの浜辺で海を見ながら演奏したい曲だった。そして8曲目のJump, Jive An'
Wail(Member全員振付け、息切れあり)まで全曲、前日の演目と入れ替えた。
3回のステージで1回しか演奏しない曲が用意した19曲中に15曲もある。Big Wingのレパートリーの広さや、そこで個性を表現するメンバーの柔軟性を見てもらいたかったし、多くのメンバーにスポットが当るようにもしたかった。その分日本での練習がハードだったことは言うまでもない。
[Photo : Manly Main Stage 10/6]
通行止めの車道を埋め尽くす聴衆の前での演奏と拍手には、いつもながらここに来るまでの苦労が全て吹き飛ぶ気持ちの良さだ。
このステージでの演奏風景が翌朝の現地の新聞Manly Dailyのトップに掲載されたことは、現地の関係者からのBig Wingの自費参加に対する最大限の讃辞だったと思う。
市内の案内スポットで配布されているFestivalのガイドブックには海外からの出演グループを中心に12グループだけのProfileが紹介されている。Big Wingの紹介には今回で4回目の参加で、初回のすばらしい演奏でfanが沢山いるバンド。見逃さないようにとのコメントがあって、どこにも社会人、アマチュアといった文字はない。ステージでのMCからの紹介では社会人であると説明したが、あとから観客に「その説明は不要、Excuseにするのは良くない」十分に楽しめるすばらしい演奏をした」というコメントをメンバーが聞いた。ガイドブックを見て初めてBig Wingを目にした観客にとっては日本を代表するBig Bandでしかないのだ。
[Photo : Audience of Main Stage]
Ocean Front Main Stageで演奏直後の記念撮影。
Main Stageでの演奏はすべて現地のFM放送局がバックステージに設置したラジカセ型の移動スタジオでハードディスクに録音し、その場で編集して放送局に持ち込んでいる。
Big Wingの演奏も放送されたらしいが誰も聞いていない。その代わりにこのステージでの12:30からの演奏と7:30からの演奏全曲をCD-Rに録音したものをもらう約束をした。翌日には出来ると言っていたが、間に合わず3週間後に2枚のCD-Rを日本に送ってくれた。
[Photo : at FM Station ]
今回のツアでの最後の演奏は、同じ日の午後7:30から始まるユニットで、International Concertと題された、海外から参加の4グループにスポットを当てたステージだ。
Big WingはKick Offの50分間、演奏した。1曲目は John Clayton 編曲のMilestones。そしてBob Mintzer編曲のCute、ボーカルで緊張の連続のRound
Midnightなど、日本代表として前2回のステージとは趣を変えたモダンなプログラムで構成した。
昼のステージの写真ではメッシュ製のバックスクリーンを透過して背景が見えるが、夜は背景の光がなく黒いバックスクリーンのように見える。演奏者はあとでビデオを見てからそれに気がついた。
[Photo : ManlyOF Final Stage]
ここで初参加のAlto Saxophone野村 貴章のコメント
帰国後の彼の任務は12/7のリサイタルで配布するプログラム編集。その中に新鮮な感想があったのでピックアップ。
10月4日 早朝シドニー着 「僕以外のメンバーは慣れていて感動の言葉もない。僕自身は興奮して飛行機ではほとんど眠れなかった。」
「マンリーの町並みは高い建物もなく色とりどりでディズニーランドのよう。・・・ こんなごきげんな街で演奏できるとは!と喜ぶのと同時に、極度の緊張に襲われる。」
「最後のステージでは雰囲気にも慣れ、満員のお客さんの暖かい拍手にも後押しされて、思いっきりステージを楽しみ、最高に気持ちの良い汗をかいた。」
「こんなすばらしい環境で1週間過ごすだけでも贅沢であるのに、さらに自分の趣味である演奏で拍手をもらい、他の演奏に拍手する。この夢のような体験はうまく言葉では表せない程貴重なのものになったのは間違いない。仕事をしつつ30年近くも音楽を続けている先輩メンバー達のやる気の源を少しだけ知ることができたように思うし、自分もその1人になりつつあるのかなぁと思ってしまうような刺激的なツアーでした。」
Festivalは翌日の月曜日まで続くが、メンバーの中で明朝出発して勤務に戻らなければならない人がいるためBig Wingとしての行事はMain
Stageでの演奏後、いくつかのInternational Concertを楽しんでから宿泊中のApartmentの中で一番広い部屋に全員集合して打上げを行なった。同行したメンバーの奥様、家族が料理を用意してくれて、吉田君が
撮影したビデオを早速楽しんだ。ビデオを見ながら大笑いの場面もあるが、映像だけに目をやると、野村君の弁ではないが本当に贅沢な瞬間としか言い様がない。同時にもっと練習しなきゃ!と頭をたたかれる。
打上げの風景は写真を見るとメンバー皆抜け殻のような顔をしているので、とりあえず非公開。
翌朝(10/7)5名が帰路に、10/8には16名のメンバーが観光を楽しんでから帰路に、さらに1日の延泊組みは足をのばして観光し、無事全員が帰国した。
スタッフとしても皆が慣れているので帰国時の空港までの足、空港での手続きなど何の心配もなく、今回は延泊組みに加わってシドニーやブルーマウンテン観光を妻と楽しんだ。ブルーマウンテンのケーブルカー終点に売っていたユーカリオイルとラノリンオイルは4回目にして初めてその良さを聞いて持ち帰ったが次回は大量に買って帰りたい逸品だった。山頂のお土産やでこんな満足を得られるのも不思議。
今回の演奏旅行に絶大なる協力を頂いたFestivalのDirectorのJohn SpeightさんとAssistantのKenさん、現地で宿泊の手配をしてくれたVisitors
Information CentreのSue Caninghamさん、彼女はスタッフ用のTシャツの残りやポスターを我々に提供してくれた。初日のバスツアでガイドをしてくれた鈴木さん夫妻とユル・ブリンナーのようにハンサムなIan Allpassさん、彼はWelcome Partyのための楽器を息子や友人から借りて来てくれた。そして姉妹都市委員会のJoan Thorburnさんは言うまでもない、とにかく健康を保ってもらいたい。委員会をまとめてくれたJoanさんの息子のひょーきんMalcolmさん、メンバー全員に感謝状を用意してくれた市長のJean Hayさん、いつも参加してくれる御主人のDavid HayさんはNew Southwails州議員でもとManly市長の1人。
日本では休暇を認めてくれた勤務先の皆様、そしてメンバーの活動を支えてくれた家族に改めて感謝をしたい。
航空券について
:成田/シドニー往復の空港使用税込みで1名 93,490円。
ディスカウント・エコノミーだが、第一に仕事の都合で直前に変更の可能性があること、30名近い席を 同一便に確保すること、規格外のサイズの楽器の機内持込みを交渉することなどの条件があるため、いわゆる格安航空券で調達することは困難なので、標準価格からの交渉による価格。
交渉の過程でこんなことが分かった。楽器を機内持込みする場合、その座席の航空券を買って欲しいという ことなので、やむを得ない、と納得しかけたが、その座席の運賃はなんと正規料金の199,000円、つまり、我々の2倍以上ということだ。ディスカウントチケットは人間にしか使えない。仮の名前で購入することは出来ないのだ。2倍の運賃を払った上、食事も出ないというヘンな話なのだ。トロンボーン2台を座席を 確保してでも機内持込みにするつもりで調べたが、あっさりあきらめた。
結局、参加人員30名中、4名は東京以外からのフライトや出張を兼ねての参加などなどとなったため、 個人手配とし、26名分をバンドでまとめて調達した。
ここで、演奏メンバーにはバンド会計から53,500円の補助、同行者には3,500円の補助を付けて 個人負担を軽減した。日頃の演奏活動で得た資金の還元に他ならない。
宿泊費について
:1名/1泊で5900円から7800円。
オーストラリアの長期滞在型アパートメントの宿泊費は1人当りではなく、部屋(アパートメント) 単位の契約で、そこに2人でも4人でも同じ料金となる。とは言っても、キャパはベッド数で決まる。
エキストラベッドを追加した時にはわずかな追加料金を払うという方法もある。 今回は、夫婦で1つのアパートメント(1Bed Room)のケースから4人共同(Twin Bed の2Bed Room) まで、2泊から4泊まで各種あり、全てを個人負担とした。グレード、立地条件などから単価に多少の差があるが、1泊当たり5900円から7800円の範囲のばらつきで、2泊から4泊までの泊数でのグループ分けを基本として、ムダな出費を抑えた。ちなみに夫婦での宿泊が7800円。
2日目の演奏終了後に4人利用のアパートメント(1泊7000円)で打上げパーティを行なったが、 30人が1室に入れるという説明で日本のホテルとは違うことが分かる。
アパートメントによって多少異なるが、1泊分または全額を予約確定時点に支払う必要があったので、 私の個人のクレジットカードで立替えておき、帰国後引き落とされた為替レートで各自から精算した。
その他の経費について
:楽器保険は全ての楽器をとめて契約し、76,000円。
1997年にNew Orleansに到着した時、Bass Tromboneのベルが変形していたこともあり、重要事項だが 今回は無事故だった。ホッ!
:ユニフォームとしていわゆるワイシャツを揃えて67,000円。
いつもの紺ブレに加えて、パートごとにカラーが異なるシルク風味のシャツをGetした。
:打上げパーティの料理と酒類で18,000円。
同行した家族が買い出しと調理を引き受けてくれた。
:国内の機材運送費、土産類などで14,000円。
管楽器のミュート類はまとめてトランクに入れて空港とスタジオ間の往復を運送業者に依託した。
バンドとしての総経費について
:航空券補助金の総額1,041,000円と上記の「その他の経費」合計で2,607,000円。
これをバンドメンバー数で割ると一人当り13万円で、実際に集金した金額は、航空券代金として メンバーが4万円、同行者が9万円で済んだ。
宿泊費、食費、更に観光、お土産については当然だが全額個人負担とした。
サラリーマン20人が同時に会社を休み、大半の人は家族を家に残して海外旅行をするには、 個々に色々な苦労があるが、日頃の演奏活動で頂いたギャラや月2500円の会費を溜めてメンバーに
還元することで、何とか周囲の理解を得られるというのが真実かも。
でも忘れてはいけないこと、私達は国際文化交流の特使として台東区からの依頼状も頂いているのです。
以上シンプルな経費の報告ですが、海外遠征を目指す社会人バンドの皆様の参考になれば幸いです。
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