奮戦社会人ビッグバンド
◆海外公演励みにジャズのリズム響く 小浜賢治
八月九日、新潟県出雲崎町の海岸にしつらえた特設ステージで、「夕日コンサート」 という屋外コンサートが繰り広げられた。海岸線に沈む夕日を背にしたロマンチックで開放的な演奏会は、この地の萬因寺というお寺の住職が中心になって企画したイベントで昨年に続いて二回目だ。
東京・池袋を練習場にしている我々の社会人ビッグバンド「ビッグ・ウィング・ジャ ズ・オーケストラ」は、縁あって二年連続でメーンゲストとして招待された。
ステージの前までやってきて乗りに乗っている人昨年に続いてまたやって来てくれた人。こんな人たちの喜ぶ顔を見ると、我々も大いに乗って演奏ができるというものだ。
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活動歴24年、プロ気分
バンドはジャズ好きの社会人が集まったアマチュアだが、活動歴は二十四年。国内の演奏会だけでなく、海外にも招待され、プロの気分を味わっている。
私は生家がレコード店ということもあり、音楽に囲まれて育った。そのため音楽の趣味はずいぶんませていたようだ。中学の吹奏楽部でトランペットを知り、中学二年の時に学校の先輩に誘われて行ったグレン・ミラー楽団の来日コンサートで、ジャズの素晴らしさを知ったのだ。
聴いているうちに体が自然に動き、メンバーが一人ずつ舞台の前面に出てきてソロを自由奔放に演奏している姿も、何とも言えず格好よかった。
中央大学ではビッグバンドジャズの名門として知られる「スイング・クリスタル・オ ーケストラ」に入部。プロの音楽家になりたいという気持ちは高校生のころからあったが、世界で活躍できるほどの才能があるとは思えず就職した。そして出会ったのが、今私がバンドリーダーをやっているビッグ・ウィングだった。
現在、メンバーは二十二人。国内では「夕日コンサート」や杉並区の「阿佐ケ谷ジャ ズストリート」といったイベント、ジャズクラブなどで年間十〜二十回聴衆を前に演奏している。
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豪での演奏が転機に
バンドにとって大きな転機になったのは、海外での公演だった。八九年に台東区主催のコンテストでグランプリを受賞し、同区の姉妹都市であるオーストラリアのマンリー市で行うマンリー・ジャズ・フェスティバルに招待されたのだ。
我々メンバーは緊張した面持ちで舞台に立ったが、それは杞憂(きゆう)だった。座っていても体を動かしながら聴く人がたくさんいて掛け声も多く、反応はストレート。 我々も思い切って音を出し、バンド全体のサウンドも明るくなった。
良い演奏をすれば立ち上がって拍手をする。アンコールにグレン・ミラーの「イン・ ザ・ムード」を演奏したところ、大勢の人が舞台の下に駆け寄り、ダンスをしてこたえてくれた。
その後、九二年に米国のモンタレー・ジャズ・フェスティバルに出演したほか、カリフォルニア州立大学でも演奏した。バンドのファンであるフロリダ商務省日本事務所長の熱意により、今年十一月にはフロリダ州とジャズ発祥の地ニューオーリンズで公演が実現することになった。
資金集めや経費の削減、休暇の獲得など苦労も多いが、海外公演はメンバー全員にとって楽しみでもあり、励みでもある。現地の人との文化交流も貴重な体験だ。だが九二
年の米国公演の直前に演奏曲目の選定で意見が分かれ、バンド分裂の危機もあった。
米国人トランペッター、マイク・プライス氏の曲で日本のわびさびを表現した「幽玄」 を演奏するかどうかでもめたのだ。「アメリカの音楽としてのジャズをいつものように演奏したい」という意見はあったが、私は「日本から来たバンドに聴衆が期待する選曲も必要だ」と思った。ジャズは常に新しさや意外性を求められる厳しい音楽芸術だ。 結局この曲を演奏することに決まり、好評だった。
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自己主張しながら変化
仕事が優先される社会人バンド。それでも何とかして練習に出たいという気持ちを高めるためには、コンサートでの演奏の充実感、達成感を共有することが必要だと感じている。
そのため他のアマチュアバンドより練習も厳しい。ハーモニーやリズムなど、楽譜に込められた編曲者の意図に独自のカラーを盛り込んで我々らしい音楽になった時に感動が生まれる。さらにアドリブが加わって、自己主張しながら変化していく。これがビッグバンドの楽しさだ。
そのぜいたくさ故にプロのビッグバンドは経済的な負担が大きく、継続的な活動が難 しい。今はむしろ我々のようなアマチュアの存在がプロに刺激を与え、明らかにその衰退に歯止めを掛けている面がある。アマチュアだからこそ、高度な技術や感性を一層身につけていきたいと思う。
( こはま・けんじ=ケンウッド勤務 )
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